ちょめ助ログ

根暗の一人言です

御馳走様でした

夜ごはん食べて洗い物して現在に至ります。ちょめ助です。


今日は「三食丼」?です とてもおいしかった。うちの母ちゃんはご飯作るのがとても上手です。毎日外食みたいで、飽きることはない(まぁ僕馬鹿舌なんだけど)
そして今日は大好物のミルクティー2本飲みました。糖尿まっしぐらね。
でも昔はね、コーヒー牛乳2L毎日の様に飲んでたから最近は割と健康です笑


夜ごはんの話から入ったので今思い出したことを綴ってみます


母ちゃんのご飯昔から外食みたいな料理が多くて美味しかったんだけどね、
子供の頃は嫌いでした。
我が家はあの頃母子家庭で、今でも僕は大嫌いなんですが、ある街の団地に住んでいました。
生活が苦しいのを我が子に見せんとするその姿勢が嫌だった。
勿論、サバの缶詰とか卵かけごはんとかも多かったけど、僕はあの頃から味覚音痴だったので、「なんで同じ飯なのに、家で誰も見ちゃいないのに着飾るんだろう?(飯ね)」と不思議でなりませんでした。会社の方には良くしてもらっていて、飯も奢ってもらっていました。どうせ食うならその時たらふく食えば良いのにと、でも母はよく奢られることを拒んでいたから、それもまた不思議でならなかった。くれるなら貰う、くれないなら奪う。
そんな精神でした。
今読んでる方はお察しだと思いますが、僕はちょっと、多分ね、ほんのちょっとだけ、周りの人と違い、考え方が壊れています。
それがもしかしたら病気のせいかもしれないし、これまであったいろいろが原因なのかもしれないし、悪かもしれないし、間違いではないのかもしれない。


でも誤解しないで欲しいのは僕も人並みに年を重ねて、何が危うい思想なのかは分かってきたつもりです。
その上で、今僕は世の中を、人並みに憂いています。
それが人の定石であるようにね。
人並みに文句言って、人並みに泣いて、笑って、人並みにムラッと来たりイラッと来たり。
なにが言いたいのかというと、もしかしたら僕のこの稚拙な文を読んではナイスを押してくれるナイスな方々の中に、「私はやはりおかしいのかも知れない」と僕と同じように自己を危惧している方がいたら、僕は日記を書くついでに、言ってやりたいのです。


まぁお互い可笑しな育ち方をしてはしまったけど、いづれはどうでも良くなる事だと。
君がおかしいことに罪などない。間違いなんかない。自分を危ぶむ必要はないと。
今の君のままでいいから取りあえず、今を食いつないで、時間が経てば自身が変わらずとも周りの奴らが何を危険視していたかぐらいは分かるから。
それが分かったら、自分の頭の中の世界、自分だけの世界だけで処理するんだ。
いうなれば君は爆弾処理班だからね、って。なんの話をしているんだか笑


自身が危ぶむなら、その危険性が分かるなら、君がそれを研究すべきだ。
危ないとわかっているなら、人に向けちゃいけないよ。



とまぁぐだぐだと話しましたすみません。笑
僕はね多分一人でいつまでも話しているのが向いてるんですね。笑


ツイッターじゃ思いは溢れるし、フェイスブックは知り合いに見つかるのが嫌だし、出会い系で相手探して話ても、恋したくなってしまうし挙句金が無くなるし。


ブログは良いのかもしれないね。
それは落ち着いた今だからなのかもしれないしね。


何が言いたかったんだっけね。
何をしたかったんだっけね。


まぁ、思い出や過去を食いながら生きることも可能だという話です。


またすぐ書きます
またね